利他のバランス

徹底的に、他人(他者)に優しくしようとして、あれこれ相手の気持ちを考えたり、あのときにこうすればよかったと思い悩むことがあります。周りに気を遣いすぎ自分の力量を超えてしまうこともあります。自分がやるべき事もできずに他者のために行動できるのかという思いがあります。逆に、他者のことを考えずに自分勝手にふるまえば誰も相手にしてくれず、一人ぼっちの人生を送るはめになります。

どちらもあまり楽しい生き方とはいえません。とりわけ後者の態度を貫いた人間は、最期のときとても悲しい思いをしなければならないと容易に想像出来ます。

利他は自分の身を挺して他人の利益に尽くす。利己は社会や他人のことを考えず、自分の利益や快楽だけを追求することを言います。極端ですね。

何をもってどのようにすれば自分も満足し、しかも他人を利することができるのか。満足する人生を過ごすために、極端な利他でも利己でもない、人として医療人としてあるべき生き方をするためにはどうするのかを考えます。

まず、他人のことを考え、そのうえで自分の利益を考えるというのは論理的に難しいですね。相手の利益と自分の利益が相反することも多いからです。

両者を同時に達成するための方法を考えなければなりません。

誰でもわかるように自分の時間は24時間しかありません。その時間をどのように使うかを検討する必要があります。

自分が価値のある何かを成し遂げればそれは他者のためになる。利他でもない利己でもなく、自分が成し遂げなければならない使命を感じ、他者の支援を受けながら、その達成に邁進することで他を利する。そのために自分がどう行動するかを検討します。

  1. 自分は成し遂げたいことをもっているか
  2. それは何時までに達成しなければならないのか
  3. 達成することで他人にとり何が良いことなのか(役立つのか)
  4. 何が自分にとってよいことなのか

を考え、使える自己資源を明確にする事がテーマです。

あれもこれもではなく、一本筋を通したうえで他人のためになることを人生の軸に行動することが必要です。

そんな仕事や活動をすることが、満足できる社会生活や人生を過ごせる唯一の問題解決方法だと考えているのです。

自分の行動の軸さえしっかりしていれば、まずはそれに集中します。そのプロセスで人との関係や接点をもち、どのように対応していけばよいのかも見えてきます。

他に気になることがあっても、まず自分はこれに力をいれる。したがって360度他人のためになることを自分の義務のように考え行動しなくても後ろめたさを感じなくなります。

なお、医療や介護を生業(なりわい)としている人々は、目の前にいる患者や利用者のために自らの知識や経験、組織の力、医療や介護のキャパシティすべてを総動員して仕事をしていく必要があります。

ここで行った議論は、そうした行為をせずとも、自分の思うことのみをすれば免責されるということではありません。

日々利他の行為のみを追求することは控えても、最終的に自分が使命を果せる何かを達成することに力を入れることは必要、という文脈で話を進めています。

いずれにしても医療や介護は元々の仕事自体が利他をベースにして成立しているので特別ですね。

誠意ある目標達成行動

ところで、自己犠牲という言葉があります。滅私奉公という単語もありますね。これらは自分を犠牲により社会や組織の役にたとうということ、あるいは自分はそう思っていなくても、社会や組織からそう強いられるという意味合いをもって使われます。

どのような職業であっても、仕事であっても、まずしっかりとした軸を自分のなかにつくりあげる。その達成のために日々行うべきことを行う、ということです。

その軸を忘れず懸命に活動することで、周りをけん引し、結果として周りにいる皆が利される、すなわち平易にいえば幸せになるといった活動をしなければなりません。そのときに多少の犠牲もあるかもしれません。

ただ、自己犠牲や滅私奉公のような、どちらかというと自分がいない、主体性のないといったものではなく、何かを成し遂げるとき、たとえ自分の何かを犠牲にしたとしても、自分の満足を得ながら他のためになる活動ができているということの喜びをどこかで感じながら生きられれば良いですよね。

それは自己犠牲、滅私奉公のようなネガティブなものではなく、適切な言葉が思い浮かびませんが、「社会貢献のための価値創造」への(交換という意味に近い)犠牲といったポジティブななかでの自分の生き方そのものであると認識すべきものです。

回りくどい言い方をしましたが、極端な利他でも利己でもなく、自分が率先して自分の決めた道を求めていくことが人々を利することなんだという納得をすること。

そして、その達成のために努力をすれば、プロセスに於いて自利を得るなかで利他を実現できる。宗教家でも慈善家でもない私たちの最善の行き方は何かを考えた帰結です。

常に意味のある目標を持ち主体的に行動し、そのプロセスで発生した事象や触れ合った人に思いやりや誠意を持って対応する、という当たり前の結論になりました。

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